方針
Blog を始めたことで、書くスペースが増えた。一方、書くペースの
ほうは減退した。仕事が忙しかったとか、風邪引いて死んでたとか、
事象が重なったのもあるが、正直に広すぎて制御できないと感じる。
その背景には勝手に決めた脳内ルールがある。書いて公開する文書
…作業ログに毛が生えたような、コンテンツというには分不相応な
書き付けの集合…は、特定サイトに縛られないようにしたいのだ。
書き付けの中でも主要な位置を占める「ThinkPad との交際日記」は
本館をはじめ、海外の別荘、国内の私邸、と都合3箇所に展開して
同じものを公開している。「公開メモ」もこれと同じ位置付けだ。
これらの(弱々しい)メインコンテンツは、サイト主宰側からいつ
ぶった切られても消え去ることなくどこかにあり、新しい宿り木が
見つかり次第すぐにまた展開できるようにしたいと考えているのだ。
この点、Blog は(少なくとも blogspot は)書きにくく感じる。
書き捨てなのだ。自分の手もとにマスターもバックアップもあって
自由に改変して書いて行くのとは違い、主宰が死んだら全てパーだ。
考えてみれば最終的に HTML を出力する物体に関して、お仕着せの
システムに乗るのははじめてだ。ある意味「こういうモノなの」と
割り切るところなのかも。そういう丸くなり方は感情的に嫌だが。
自分の手で確実にメンテナンスできないことを覚悟することにする。
よって、ここは自由にする。無制限、開放台だ。他の館よりずっと
無責任に書くことにする。切れても後悔しない後腐れのない内容に。
となると必然、書く内容は発散する。毒も多くなる。ロバ耳王様の
床屋にとっての木のウロだし、無フォーカスで無脈絡なものになる。
他で扱うことどもは他で書くだろうからここは残りのカオスになる。
でもあんまりルールなしだとそれはそれで醜いので、1つだけ己に
制限をかけてみよう。それがこの「スタイル」だ。数ポスト前から
一目瞭然だが、「文節の途中で CR しない 60 fold」が、それだ。
テーマを持たないというテーマで、どこまで書きたいという欲求を
維持できるかは甚だ疑問だが、とりあえず当面の間は、この方針で
だらだらと駄文を製造してみようと考える。何が起きるだろうか?
2 Comments:
自分のBlogも書き散らしています。よって毒者が腐海に感じるものもあるかも知れません。
ですがはじめでBlogを書いて分かった事は「書き散らす事で自分の中で何かに論理的に整理をつけられ、さらにそれに対し違った角度からの意見を頂ける」メリットです。これ意外と大きいです。
よって、最低限のルール以外は特に制約をつけないで本音を書き散らしています。出来ればそのテキストだけでも取り出せる仕掛けが欲しいですよね。
あと、もう一つ縛りありますよね。タイトルが二字。カッコイイ。
blogを書くようになったときに、最初は自分も内容を絞り込んでましたね。でもだんだん日記的になり、最後はなんでもありになりました。
でも、これがいいというか。。。くだらないんですが、取りあえず残すという方針でできたのが今の私のサイトです。
昔、内容にこだわって残したものは別のサーバにありますが、実際はあんまり振り返ったりしませんね。(blogは)
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