Tuesday, January 05, 2016

年記

とんとご無沙汰である。百四十文字を越える想いが無いかというと
そんなこともないのだが、ここ用に自分で勝手に決めた四角い文体、
この形に整えているうちに思考は雲散し、霧消してしまうのである。

傾向としては、じっくりときっちりと思索を編むことをしなくなり
偶発的で散発的な思いをつぶやきに放出する頻度は高い。刹那的な、
より短絡的な性向が強まっているが、また少し綴ってみようと思う。

Friday, October 24, 2014

木曜

木曜日に振休を取る、というリズムを始めてから一年ほどが過ぎた。
リズムというものは、定着して認知されると、色々と楽だ。周囲の
人達も「木曜日は居ないんだよね」と勘案して諸々調整してくれる。

お蔭様で山のようにあった振休もほぼ使った。残が増加傾向に無い
ということは、ある意味落ち着いている、と言ってもよいのだろう。
しかし、なかなか録画の消費が捗らない。木曜でも忙しいのである。

Saturday, December 28, 2013

口伝

自分の知っているはずの何かを誰かに伝えることは、とても難しい。
主題となる知識をうまく伝達する:即ち:記憶して活用してもらう
…そのためには、興味を抱いてもらう必要があって、これが難しい。

知らないことはたくさんあるんだ。若者に作業をやってもらう中で
若者達自身が気付くたくさんの知らないことや、説明する立場でも
説明することのできないたくさんの事柄たちの、何と多いことか。

若手に作業をやってもらいながら、その背景や関連や派生について
少しずつ説明する。「archive って書庫とか保管庫って意味だよ」
って知らないのと知ってるのでは、これから過ごす時間が違うはず。

でも tar も jar も war も実は ar だ、なんてのは単なる知識で、
知ってるか知らないかは、ただ bit のON/OFFに過ぎないのであり、
知識の有無に価値を感じる動機付けが難しいのではないかと思う。

単品の献立でなく、その組み合わせや連なりを、相互影響や歴史を、
味付けとして構成して見せて聞かせて触らせて、たくさんの情報の
網の中で位置付けてあげて、その「それ」を理解してほしいと願う。

技術は識って修めて磨いていくものだけれど、知識は恐らく信号に
過ぎず、それを脳内に留めるには強い刺激が必要なのだろうと思う。
そう思ってこちらは説明するのだけれど、響かない。寂しいものだ。

Sunday, July 07, 2013

型番

出張先の近くに大きめの電器屋がある。いわゆる家電量販店である。
現地作業の助けになるものが何か無いか?と物色しに行ってみた所、
いわゆる普通の SD カードが、ワゴンセールで山積みになっていた。

どうってことのない SD カードである。容量が多いでもなく速度が
早いわけでもなく、贔屓のメーカでもなくデザインもありきたりで
値段も別に「ふーん」という値段である。だが型番が気になるのだ。

如何にも我輩を引っかけることを狙って付けられたとしか思えない
あざとい型番だ。その名は「BSD-4G4」。正に BSD 4.4 ではないか。
作ってる人たちは微塵も考えてないだろうけど。とりあえず買った。

Monday, December 31, 2012

切替

年の切り替わりの時だ。月例の切替作業とは別に、年末ならではの
切替がある。計数のリセットと来年の準備が、そのうちのひとつだ。
$HOME に溜めたテキストファイルを整理して、来年に備えるわけだ。

計数を始めてから毎年、驚いてしまうのがコーヒーの量だ。自席で
消費したゴールドブレンドの量を、ビン単位(グラム)で数えている。
2012年は 17本のビンを空けた。都合 2250g 超だ。飲みすぎである。

同様に切り替えるのが録画消費メモ。ただの視聴した番組のリスト。
主に WOWOW を中心に、メモとして溜めている。「これ見たっけ?」
という時に重宝する。今年は、500番組ほどを見た。結構、見てる。

普段は別に数えてないんだけど、今年は特別に、土曜日の出社率を
数えてみた。52分の43。自覚はある。詳しくは前のポストを読んで
貰えれば、わかる人にはわかるだろう。これも大きな切替点だった。

来年はどんな年になるだろう。ぼちぼち自分の手掛けている各種の
仕掛けについて文字化が必要なので、細々とドキュメントを書いて
備えておきたい。濁流のような日程の中、どっしりと構えていたい。

Tuesday, June 19, 2012

撤去

知る人ぞ知る、あの製造番号1番の機械を停止した。リプレイスだ。
あれには苦労させられた。ハード、ドライバ、OS、ミドルウェア、
アプリケーションを動かす前提のありとあらゆる段階で、苦労した。

初号機なんて使うもんじゃない、か?いや。初号機だからこそ、の
エキサイティングな面白さが、そこにはあった。色々とメーカーに
要望を上げ、拾ってもらったものも、リジェクトされたものもある。

あの時のチームは、即応能力が高く、強力な構成だった。なにより、
同じ出来上がり想像図を共有していた。そして、いいものを作ろう、
ちょっとづつ改善していこう、という思いで繋がっていた、と思う。

最初から百点が取れるものじゃなかったのは間違いない。後付けで
少しづつブラッシュアップしていった。人が減っていき、属人化に 
拍車がかかる中でも、のたうちながら、心血を注いで良くしてきた。

停めるのは、あっと言う間だった。電源を切ると、轟音が止まった。

Monday, January 16, 2012

不惑

十五の時にコンピュータに触れた。ゲーム機じゃなくて、国民機だ。
初めてプログラムを書いた。夢中で雑誌を読み耽り、掲載されてる
ダンプリストを打ち込み、数学の文章題ではプログラムで回答した。

高校生の時分に「これを職業にする」という決意や覚悟は無かった。
単純に面白かった。大学では後輩の分まで「情報」の宿題をやった。
就職活動する頃になって「自分にはそれしか無い」と自覚を持った。

三十ちょい前から、今のお客様のシステムに携わっている。平時も
非常時も、基本的なアプローチには迷いは無い。実現対象の事項を
分割し、対象を識別、現状を観測し、操作を行い、結果を観測する。

十年の蓄積の中で陳腐化した部分もある。未だ成らぬまま放置され
捨て去られる運命のものもある。これからのシステムの変革に対し
恐れや戸惑いが無いとは言わぬ。だが、それでも、もう四十である。