自分の知っているはずの何かを誰かに伝えることは、とても難しい。
主題となる知識をうまく伝達する:即ち:記憶して活用してもらう
…そのためには、興味を抱いてもらう必要があって、これが難しい。
知らないことはたくさんあるんだ。若者に作業をやってもらう中で
若者達自身が気付くたくさんの知らないことや、説明する立場でも
説明することのできないたくさんの事柄たちの、何と多いことか。
若手に作業をやってもらいながら、その背景や関連や派生について
少しずつ説明する。「archive って書庫とか保管庫って意味だよ」
って知らないのと知ってるのでは、これから過ごす時間が違うはず。
でも tar も jar も war も実は ar だ、なんてのは単なる知識で、
知ってるか知らないかは、ただ bit のON/OFFに過ぎないのであり、
知識の有無に価値を感じる動機付けが難しいのではないかと思う。
単品の献立でなく、その組み合わせや連なりを、相互影響や歴史を、
味付けとして構成して見せて聞かせて触らせて、たくさんの情報の
網の中で位置付けてあげて、その「それ」を理解してほしいと願う。
技術は識って修めて磨いていくものだけれど、知識は恐らく信号に
過ぎず、それを脳内に留めるには強い刺激が必要なのだろうと思う。
そう思ってこちらは説明するのだけれど、響かない。寂しいものだ。