二月中旬からずいぶんと連続して出社日が続いた。三月の勤務表で
退社時刻の「時」のほうだけ並べてみると、以下の数列が得られる。
24 24 23 23 22 21 24 24 23 19 20 23 24 23 23 23 23 22 23 19
23 23 23 23 22 21 20 23 休 23 23
出社時刻の「時」のほうも、面白そうだから並べてみることにする。
09 12 08 15 08 11 10 09 09 12 13 06 08 13 09 09 08 13 08 12
13 08 10 14 14 08 10 12 休 09 13
何やら数字ばかりがたくさん並んでいて、漢字があまり見当たらん。
軽く目眩を催しそうな感じではある。道理で最近体力的にキツいと
感じるわけだ。四月は是非一つのんびりしたいと願うばかりである。
とは言うものの、実は出社すること自体はちっとも苦であるという
認識はない。我輩のマシンは会社に置いてあるので、むしろ会社が
自分のリビングであり、メインの活動の場であるとも言える印象だ。
四月になったら新体制だ。我が社の場合、体制と仕事とは必ずしも
一致しない…というか関係無いみたいなので、我輩も異動なのだが
あまり期待はしていない。どうせ仕事は変わらない、と思っている。
籍だけ変えるような無意味な異動ならやめてくれ、と言いたい処だ。
これで本当に席まで移動になってしまったら、通勤に要する時間が
体感的にかなり増大することになるので、ややブルーな印象である。
人の感情は得てして物理的な距離に左右されがちなものだ。それは
仕方のないことだと理解はするものの、納得はできない。我が社の
場合特に、遠隔地に居る者に対して無理解な傾向があるので哀しい。
我輩自身も、遠くの人のことを、ややもすると忘れてしまうのでは?
という感情に毎日苛まれている。忘れずにいる、というそれだけで
自分が冷たい人間ではないという赦を得られるわけではないのだが。
幸いなことに今はネットワークの力で簡単にコミュニケーションが
物理的な距離を越えることができる。忘れないという以上にもっと
自分にできることがないか考えつつ、言葉を紡いで生きたいと思う。
いつも散漫だが今日はいつにも増して乱文なのが我ながら可笑しい。