Thursday, January 28, 2010

計数

数を数えるのが好きだ。お金の勘定は苦手だが、意味もないような
つまらない事を数えるのが好きだ。大学正門から家までの信号の数、
I 袋から家までの歩数、階段の段数、小さいころは縄跳び跳んだ数。

今でも PC のバッテリを使用(そして充電)した回数は数えているし、
新しいマシンをセットアップする時に再起動した回数、エディタで
テキストを編集する時の最短手数なども興味深く感じる。忘れるが。

ゲームでもそうで、盗んだり拾ったりしながら「クァールの毛皮が
今 98 個」とかカウントしている。確認して合っていると、嬉しい。
去年はインスタントコーヒーを数えていた。年間で 2.5kg 飲んだ。

今年は、呑み会の回数を数えてみる試みが進行中である。一月は7。
家呑みを除いて月間7回ということは、四日に一回くらいのペース。
わりかし多いのではないだろうか。道理でぶくぶく太るわけである。

Thursday, January 21, 2010

列挙

日中に気分が優れず悶々としていた。誰にディスられたでもないし
悩みがあるわけでもないのに、苛々していた。苛々している理由が
わからないことにまた苛々したりもして、美しい負のループだった。

我輩はお子様なので感情の制御が得意でないのだが、時間は宇宙で
最も貴重なリソースであるのに、それを無駄遣いしているのが嫌で、
苛々する可能性のある事項を端から列挙してみたら、スッキリした。

「不確定な未来について明確な意志表示を求められる時」「遥かな
過去について精緻な記憶を求められる時」「重大事項の調整が全て
口頭で行われ、メイルやログが全く残らない時」などがまず挙がる。

続いて、「知らないうちに仕様が変わっている時」「ルールが急に
不都合な方向に変更になり、それを強制される時」「同感できない
価値観を押し付けられる時」などの他律的要因も、すぐに思いつく。

「割り込みが多く、自分のやりたい作業ができない時」「Googleで
検索してもゴミばかりが出てくる時」「自分の書いたものが自分で
ぜんぜん納得できていない妥協の産物である時」なども、影響ある。

「的確な言葉が思い出せない時」や「固有名詞が出てこない時」は
一般的にそうだろう。「手持ちの現金が少ない時」も、実際切実だ。
「メシがマズかったり、油まみれだったりする時」は自宅の事情だ。

衣服には基本的に無頓着ではあるが、「洗濯物がシワシワだったり、
洗剤カスがこびりついていたりする時」も癇にさわる。冬だからな。
本日のは、最もよくある「お腹がすいている時」「眠い時」だった。

列挙するだけで、些細なことだと感じられる。なかなか良い手法だ。

Saturday, January 16, 2010

均衡

twitter で「つぶやく」ようになって、しばらく経つ。最初の頃は
本当に木の虚に向かって「ろばの、耳…」と言ってみる程度だった。
それが今では、小さなネタ抜きにはどんぴしゃな存在になっている。

我輩のこのブログは、それなりに内圧が高まっていて、それでいて
書く時間が作れた時にしか書かない。まったく捻くれたものである。
で、内圧の方は「つぶやく」ことによって大半が抜けてしまうのだ。

歪んだ圧力でも行動の原動力として有用ではあるが、妬みや怒りを
ベースに真実を求めたり改善を積んだりすることは難しい。暖かく
愉快な衝動にこそ、流動的な感覚から文字へと固着する価値がある。

正と負の感情のバランス、140 文字以内の短文と無制限の長文との
バランスを器用に操れるほど我輩の精神は成熟していないのである。
不惑へのカウントダウンを意識し、歪んだ自嘲を愉しむ日々である。

苺祭

今日も仲間たちに祝ってもらってしまった。気を遣わせてしまった。
でも正直、嬉しかった。余りにも好き勝手な毎日を送っているので
沢山集まってくれたりメイルでメッセージをくれたりするとは意外。

Sunday, January 03, 2010

三田

池袋にはラーメン屋がいっぱいあるが、恒例の正月の遠吠えのあと
訪れた池袋北口の「三田製麺所」のつけめんが、実に美味であった。
言うまでもなく今年初めてのラーメン。今年を占う、大事な一杯だ。

麺は極太麺。直径 3mm くらいはあろうかと見える。若干くすんで
まっ黄色ではない。スープはおかかの香り漂う、濃度の高いスープ。
これが極太麺に絡む絡む。麺は腰が強く、しっかりとした歯ごたえ。

ここまで美味ければ、締めの一品でなくノーマルの食事として来て
いくらでも喰える感じである。ゴロリとでかい豚肉を口中で融かし
太めのメンマを噛みしめながら啜る割りスープも、グッドであった。