取手
会社のトイレのドアが嫌いである。個室のドアではない。御手洗と
廊下の境界にあるドアである。このドアは廊下側から押す、つまり
内側からは引く構造になっていて、取手として丸い球がついている。
ドアにラッチはなく、単に押したり引いたりすれば開く。何が嫌い
かというと、内側から「引く」場合である。球が濡れていることが
往々にしてあるのである。取手である球がどうして濡れているのか。
考えるまでもなく、単純な話である。そこで用を済ませ、手を洗い、
ハンカチで拭いて、球を掴んでドアを引き、出て行く。この一連の
動作の中の、最重要なステップを省略している輩が居るに違いない。
せっかく拭いた手を、廊下に出てからさらに拭く。これが我輩には
不愉快である。何で濡れているか定かでないものを掴まされた感と、
まるで我輩自身が拭かない人であるかのように見える様が嫌なのだ。
ひどい時には、廊下から事務室に入るドアのノブまでもが、濡れて
乾いていないことすらある。そこで我輩は、ハンカチをしまわない
という作戦を編み出した。取手は、ハンカチ越しに掴めばいいのだ。
我輩は特段、潔癖症ではない。むしろズボラな部類である。環境の
不衛生さを憂いているわけでもない。拭く、濡れる、拭く、濡れる
という繰り返しがもたらす不愉快さに納得できないだけなのである。